和歌山バス那賀の川原線の廃止時期が判明した話
きっかけ
こちらは、以前の和歌山バス那賀のWikipedia記事である。
この、「廃止路線・系統」のうち「地域分割子会社化以前」の項に以下のように記載されていた。
・川原線:粉河駅前 – 川原
・1990年代前半の廃止。
一方、日経テレコン(大きめの図書館で見れる)を検索したところ、以下の記事があった。
1991/7/19 「和歌山バス、8路線を子会社に譲渡 -経営再建へ効率化。日経産業新聞」
その内容として、和歌山バスが、3月に分離した子会社の和歌山バス那賀に、橋本線など8路線、約130km を譲渡し、同年8/1より子会社での運行を開始すると記述されている。
……8路線? 当時あったと思われる路線を数えてみる。紀伊粉河線、紀伊岩出線、山口線、橋本線、笠田線、志賀線、粉河熊取線……1つ足りない。もしかしたら川原線は分社化後に廃止されたのではないか。そう思っていたところ、X(旧Twitter)で以下のような投稿が流れてきた。
この写真の中に、「940401」という日付らしき数字が書かれていた。これが1994年4月1日の意味だとしたら、やはり川原線は分社化後まで残っていたのではないかと思い、調べることとした。
調べた資料
紀の国時刻表
和歌山県内の1997年7月時点での鉄道・バス・飛行機・フェリーの時刻表が記載されている書籍。特に路線バスの情報が貴重である。
以前図書館で読んだときに、和歌山バスの部分のページをコピーしていたのでそれを見返してみた。すると、「方向幕一覧表」があり、笠田線や志賀線は掲載されていたが、川原線は掲載されていなかった。そのため、1997年7月時点で廃止されていたのではないかと推測した。
粉河町史
第2巻以降はNDLにあり、自宅から閲覧できる。第1巻のみ図書館に出向いて読んだ。川原線の廃止時期についての情報はなかった。
町勢要覧こかわ
粉河町史で出典として用いられていたことから、和歌山県立図書館で閲覧したが、粉河町史に掲載されている以上の情報はなかった。
和歌山新報(現・わかやま新報)
和歌山市エリアを中心とする地方紙である。1994年4月〜12月分を読んだものの情報はなかった。1年分を読むのに4〜5時間はかかるため、1995年以降の調査は保留した。
粉河町議会会議録
インターネットで公開されていなかったため、合併後の紀の川市に連絡をとり閲覧する機会をいただいた。結果、以下の記述を見つけることができ、川原線の廃止時期が1994年であることが判明した。
川原線の廃止年度に関する記述
粉河町は川原線に対して「地方バス維持対策費補助金」を支出していたため、議会でも同補助金に関して質疑応答が行われていた。なお、地方バス路線運行維持対策補助については下記のリンク先が詳しい。
https://regional-transport.dev/archives/743
1993.12.16 平成5年度第262回粉河町議会定例会議事録(第2号) 日程第5議案第56号 平成 5 年度粉河町一般会計補正予算(第 4 号) P46-47
質疑:川原線は乗車密度が下がっており、中ノ才以下川原地区の関係者の陳情で維持している。橘橋(引用者注:西川原と東川原の間の川に架かる橋)ができたことにより東川原から野上へ抜けて名手へ抜けて営業所を一周する路線の提案もあったが、なかなか路線を変えるのは難しい。もう一つの見切りをつけて方法論を考えるべきではないか。
答弁:平均乗車密度は1.2人であり、第3種路線となっている。今後の予定について、「1年で廃止ということで、このまま行ったらもう廃止」と述べられている。
1994.12.15 平成6年度第267回粉河町議会定例会議事録(第2号) 日程第6 議案第67号 平成6年度粉河町一般会計補正予算(第3号)
質疑(P27):「地方バス補助金145万円と出ておりますが、これは恐らく川原線も廃止になったというのも聞いておりますし、(後略)」と述べられている。
答弁(P28):「(前略)、現在廃止になっている川原線についてのものでございます。あの路線につきまして、決算年度が今年の9月30日以前1年間、そういう決算年度になっておりまして、その欠損額が291万5,060円(後略)」と述べられており、欠損額について、県で半分、町で半分を支出すると述べられている。
あとがき
これにより、Wikipediaを編集し、川原線の項を「地域分割子会社化以降」に移行した。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%AD%8C%E5%B1%B1%E3%83%90%E3%82%B9%E9%82%A3%E8%B3%80
なお現在、川原地区に向かうバスとして、紀の川市地域巡回バスの川原西脇コースが運行されている。